こいしはなぜ人気なのか?
知っている方は知っている通り、私は古明地こいし大好きです。
人気投票でも一位を取ったりと東方ファンの中でも人気のある彼女ですが、
『古明地こいし』はなぜ人気があるのか、前々から思っていた事をまとめてみようと思います。
こいしは、可愛い。
まあそれは、当然の宇宙の真理として、心綺楼参戦などでビジュアル面も強化され、多くの人の目に触れる機会も増えた。
それが、こいしの人気に拍車を掛けた事は間違いないでしょう。
でも、それがこいし人気の本質だとは思いません。
彼女が人を引き付ける理由。
それは、『古明地こいし』が非常に『人間臭い』からです。
こいしの行動原理の一つに『他者から嫌われたくない』があります。
自分の『サトリ』を捨ててまで貫いたのですからこれは相当な思いです。
『嫌われたくない』と言う感情は、人間だれしもが持つ感情で、
程度の大小はあれ、率先して嫌われたいと思う人は少ないでしょう。
彼女は、『妖怪』であるにも関わらずここに執着していました。
『サトリ』能力によって、周りからの迫害が大きかったという事も、考慮に入れなければいけないのかもしれませんが、彼女のこの心理は、おおよそ『妖怪』っぽくありません。
ここにまず、彼女への強い共感が生まれるのではないでしょうか。
我々と同じように『他者に嫌われたくない』と言う感情を強く持っている。
それ故に、そこに共感が生まれ、どうしても我々は『古明地こいし』の事を気にかけてしまうのです。
この、『嫌われたくない』と言う思いは、現代社会では異常に強く働いている感情なのではないかと思います。
それ故、彼女に気を留める人も多い、と。
こいしは『他者から嫌われなくなる』為に『サトリ』を捨てました。
つまり『嫌われないようにする』為に『本来の自分を捨てた』のです。
自分を偽らなければ、社会生活が出来ない。そう考えている方、多くありませんか?
自分を改善してゆく事は、もちろん大切ですが、時には自分の意にそぐわない改善を求められる時もあります。そういった事に憤った経験は?
その後、こいしは『無意識』の能力を得、他人から感知されない存在になる事が出来ました。
『他者との関わりを断って暮らせたらどれだけ楽か』そう考えた事がある方はいらっしゃいませんか?
けれど、実際に他者との関わりを断って生きる事は、何かとてつもないものを失って生きるのと同じなのではないか、そういうふうに悩むのもまた彼女なのです。
ここら辺は、原作では言われていないかもしれません。ですが、二次創作作品などではしばしば、サトリを失った自分とさとり様との関係性を悩むものや、無意識の能力により感情が空洞化した事を悲しむ(こいし自身がではない)描写が行われている事を見るに、そのあたりを気にしている人は多いと判断します。
『無意識』を得た彼女は考えなくて済むのかもしれませんが、我々はそれを悲しいと、苦しいと考えてしまうのです。
結論として――
『古明地こいし』とは、『他者との関係性に悩む現代社会に住む人々の縮図』そのものなのではないでしょうか?
だからこそ、彼女の存在に魅かれ、考えてしまうのではないのでしょうか?
それが、高い人気へと結びついている、と。
彼女が、人気投票で一位を取る。
という事は、われわれの中には、他者に対する関係性を悩んでいる人が多数存在するという事に他ならないのではないでしょうか?
突飛した考えなのかもしれませんが、実際にこいしが人気キャラである以上、そう思って受け止めなければいけないと私は思います。
以上、まとまらなかったかもしれませんが、
こいし好きの幼い人間の戯言でしたとさ。 おしまい
■ ■ ■ ■
と、まあ
あまり根拠もない思い付きの長文にお付き合いいただきありがとうございました。
(こいしクラスタは、危ない思考の人が多いとか、こいし好きな人は「こいしになりたい」って言う人が多い、って言うのはこの辺からも来ているのかなあと。あんまり掘り下げると鬱思考まっしぐらなので、いまは考えるのを止めます)
こいしの事を考えるという事は、めぐって自分の事を考えるという事。
こいしが幸せになる方法を考えるという事は、めぐって自分が幸せになる方法を考えるという事。
どうせ考えるなら、幸せになりたいですね。
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