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『ファンタジア』感想

Feuille-Morte様のC96新譜『ファンタジア』の感想です。 
以下、この作品を鑑賞させていただいて思った事を詰め込んでみました。 


・台本と舞台 


 『ファンタジア』を鑑賞するに当たり、私はついいつもの癖でブックレットを読まずにCDの方から先に聞いてしまいました。 
 RDさまはツイッターにて「今作はブックレットをご覧になりながらCDを聞かれた方が良い」とおっしゃっていたにもかかわらず、うっかりしていました。 
 その言葉の意味はすぐ後に知ることになるのですが、まず聴いた曲は素晴らしい〝物語音楽〟に満ちていました。 
 六人の女性のそれぞれの悲しみや苦しみが語られる第一幕から第六幕。そこに現れる彼女たちを〝救おう〟とする〝怪人〟の存在。 
 それらはすっかりと私を物語の世界へ―― まさにお芝居を見ているがごとくの世界へと誘ってくれました。 
 そして圧巻だったのが終幕の『ファントマ』です。 
 登場人物が入れ替わるように歌い続け最後には〝怪人〟の〝救い〟を否定して合唱の部分へ。 
 私はそこで涙していました。 
 物語への感動。そして重厚な曲と合唱への感動。 
 とても筆舌し難い感動を与えてもらえました。 

 さて、感動の余韻に浸りつつ、私はここでブックレットを読むことになるのですが…… 
 このブックレット、歌詞が台本風に書かれたものと認識していました。 
 『ファンタジア』お鑑賞された方はもうお気付きだと思いますが、私もここで大きな衝撃をもう一度受けることになります。 

 そう、ブックレットに書かれた物語の最後と、CDで歌われた物語の結末が異なっているのです! 

 これに気が付いた時、私のCDの内容に関する認識が一変しました。 

 本当に舞台演劇だとすると  
 ブックレット=台本 
 CD=舞台 
 だと、思われます。 

 ブックレットでは、女性たちは〝怪人〟に救いを求め、それにこたえる形で〝怪人〟は「やることがある」と場を去って台本上の物語は終わっています。 

 〝怪人〟がすべきこと。 
 それは彼女たちを救うことです。 
 それを〝怪人〟がやりきった結果があのCDでの結末。 

 「いいえ、あなたは間違っている」 

 からの女性たちが〝怪人〟からの救いを否定し、自分たちの意思で救いを得る(内容に関しては是非作品を鑑賞されてください!)事になりますが。〝怪人〟は自分が悪役となることで、彼女たちを真に救ったのでは、と私は考えます。 
  


 ・キャラクターへの〝救い〟とは? 


 最後の舞台上で〝怪人〟は物語の登場人物である女性たちに〝救い〟を受けることを否定されます。 
 一見、〝怪人〟がただ否定されただけのように見えますが、私はそうは思えません。 
 この『彼女たち自身に〝怪人〟からの救いを否定させること』それ自体が〝怪人〟が用意した彼女達への〝救い〟そのものだったのではないでしょうか。 
 そう。〝救い〟は与えられるのではなく彼女たち自身の手で掴まなければいけないものだったからです。 

 時間列的には 台本⇒舞台 ですので 

 台本(ブックレット)の最後で〝怪人〟が彼女たちの前から姿を消したのは舞台(CD)にてこの〝救い〟を用意するためだったのだと私は思います。 

 『ファンタジア』で描かれた六人の悲劇的な女性たちは、言ってしまえば劇の為に〝語り手(創作者)〟によって創られた〝キャラクター〟です。 
  
 その〝キャラクター〟が〝救い〟を得る方法は何か? 
  
 一番楽に考え着く方法は〝物語を書き換えてしまう〟ことでしょう。 
 単純に彼女たちが最終的には幸せな結末を得られるように台本を書き直してしまえばいい。 
 しかし〝怪人〟はそうしなかった。 
 それが本当に〝キャラクター〟たちの〝救い〟であると〝怪人〟は思わなかったからです。 

 ここは難しい判断なのですが、〝怪人〟=〝語り手(創作者)〟であるとするなら、 
 〝怪人〟=カトカ・エリオーシュであるとするなら、 

 〝怪人〟は物語上の単純な救済は、ただ単なる〝語り手(創作者)〟のエゴに他ならないと気が付いているのでしょう。 


 CD(舞台)の『ファントマ』終盤。 
 〝怪人〟を否定して、どんな悲劇であろうとも自分たちの意思があるからこそ自分達は〝救い〟を得るのだと気が付いた彼女たちは 

 「泣かないで」 

 と語りかけます。 
 誰に? 
 他でもなく、泣いているのは〝怪人〟でしょう。 
 創られた〝キャラクター〟という立場の彼女たちが、自らの意思で〝救い〟を得た姿は、〝怪人〟が本当に求めた彼女たちの〝美しさ〟そのものだったに違いありません。それが〝怪人〟が求めたものだったのですから。 

 その姿を前にして〝怪人〟が涙を流すことは想像に難くありません。 



 ・カトカ・エリオ―シュ 

 付属の書籍を読むことで、この《ファントマ》という作品を創ったのはカトカ・エリオーシュという人物であることが語られています。 
 この書籍ですらまた一つの物語であるということはこの『ファンタジア』という作品の奥深く凄まじい点であります。 
 イラストを担当されたはなだひょうさまにおかれましても大変な作業であったろうと、素晴らしいイラストの数々を見ればわかります。 
 カトカは「キャラクターの声を聞くことが出来た」とされている人物です。 
 カトカが死して〝怪人〟そのものとなり、〝キャラクター〟たちを救おうとしたのが《ファントマ》であるとするならば、〝キャラクター〟の心を考えない〝語り手(創作者)〟の〝エゴ〟による『物語の改変』という手段による〝救い〟を否定したのも頷くことが出来ます。 
 最後に〝キャラクター〟たちが自分の意思で〝救い〟を得たのに涙したのも頷くことが出来ます。 



 ・最後に 

 本作は、その物語性、音楽性において抜群であることは間違いありません。 
 そして、そのなかにRDさまの 
 〝創られたキャラクターとはなにか〟 
 〝作品を創る者は、自分の作ったキャラクターに対してどう接するべきか〟 
 といった命題を多分に含んでいるように思えます。 

 私自身も創作活動をする者の端くれとして、これらのメッセージは深く心に突き刺さり、考えさせられる部分でもありました。 
 きっと私は今後創作をするうえで、この作品のことを必ず思いだすことになるのだと思います。 
  

 ともかく、このような素晴らしい作品を世に送り出していただいたRDさまに、 
 素晴らしいイラストで世界を盛り上げてくださったはなだひょうさまに、歌い手と演奏の皆様に、深い感謝と尊敬とをもって、この感想を終えたいと思います。 

 長文、乱文にお付き合いいただきありがとうございました。 

                   
                          2019.8.20   涼名
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